「自分の人生の主人公は私自身である」
今、私たちに求められているのは、「自分の人生の主人公は私自身である」と、声高らかに宣言することです。
どの人も皆、自分の人生を自らの足で歩んでいくことを使命として、その命を授かりました。
生まれたてのか弱い命は、人生でもっとも影響を受ける両親の手で育てられていきます。人によっては、幼い時に両親と離れてしまう、どちらかの親と死に別れてしまう、あるいは、親から虐待を受けるといった不運を背負うかもしれません。しかし、当時を振り返る時、「自分の人生の主人公は私自身である」と宣言すれば、たちまちその不運は消え失せてしまいます。つまり、主人公である自分の成長のためには、その環境がもっとも適していたと言えるのです。その中で成長することを通して、私にとって「愛」とは何かをしっかりと学ぶことができます。
大人となった私たちは、自分の才能を仕事で表現していきます。人生の主人公である私は、心がウキウキ、ワクワクする、興味を示すことができるものを迷わず仕事として選びます。そして、それを継続する努力をし、自分自身の天職を構築していきます。
伴侶の選択においても、相手がどのように自分を幸せにしてくれるのかと考えるのではなく、自分が相手をどのように幸せにしていくのかに注目をします。そのためには、相手に自分の思いを語りかけ、相手からの思いも受け取る豊かなコミュニケーションは欠かせません。そこには、私たちの細やかな感情を語る言葉がふんだんに使われています。結婚し、やがて子どもが生まれても、親となった私たちは、見事な反面教師となって、子どもたちにそれぞれの生き様を余すことなく見せてあげます。
生きている過程では、心と体のバランスを崩すこともあります。その結果、病気になる時もあるでしょう。しかし、人生の主人公である私たちは、病気を恨まず、そこに隠されている意味を読み取る努力をするでしょう。そして、医療に自分の体をまかせっきりにするのではなく、自らが医療の方法を選択し、その力を借りて治癒に努めます。
「自分の人生の主人公は私自身である」と宣言する人は、常に自分を肯定できます。
その時々の自分の決断に対して、その結果がどう出ても後悔の気持ちはありません。ゆえに、その瞬間、瞬間に集中できます。恐れや不安といった執着も持ちようがありません。
「自分の人生の主人公は私自身である」と宣言する人は、自信があります。
自分を信じることができる私は、他人との比較を必要としないので、優越感や劣等感といった不気味な振動で心が揺れることはありません。
自分を肯定し、自信がある人は、自分を愛で満たせます。その愛は、常に心をリラックスさせるので、自分と同じように個性豊かな他人へ深い慈愛を渡せます。その慈愛は、自分と他人との違いをそのまま認める真の理解を生み出します。
「自分の人生の主人公は私自身である」と宣言する人は、同様に宣言する多くの他者と真の理解を通して共感しあい、幸せを分かち合います。
明日の食料を心配する必要もなく、住む所も着るものも充足している、この豊かな国に生きる私たちは、思う存分、自分の生きがいを求めて悩めます。その悩みから顔をそむけないで、その悩みにどっぷりと浸かって、そこから私らしい気づきや学びを手に入れた時、私たちは、十分に霊的な存在となっています。
霊的な存在に成長した私たちは、ますます人生を能動的に、主人公となって歩んでいきます。そこには、もはや苦しみはありません。どんな出来事に遭遇しても、それはすべて自己を成長させる喜びとして実感できるでしょう。その時、まさに「人生は喜びに満ちている」のです。
この喜びに満ちた人生を、日本人の私たちから実践していきましょう。すると、全世界に、その喜びの種を届けることができます。それは、人類の進化を促すこととなり、さらに、疲弊している地球を救うことにもなるのです。