カテゴリー: 人間関係, 共感・表現・感謝・役に立つ
第222回 人生意気に感ず
多くの人々が「やりがいのある仕事をしたい」、「人生に手ごたえを得たい」、「自分らしく生きているという実感がほしい」と望みます。実際にそれらへの何らかのヒントを求めて、チャネリングを受けに来る方々もいます。
そういった方々は、決してなまけ者ではなく、律儀でまじめな方々ばかりです。そして、そういった欲求を目標として掲げると、一心に達成を目指して精進していこうとします。その態度は、自分に厳しいもので、また他人からの手助けを潔くないと一切求めなかったりもします。それは、他人からはとても真似のできないすばらしい人だと賞賛されるでしょう。
しかし、そういった生き方では、なかなかそれらの願望を満たすには至りません。するとますますストイックになって、他人に甘えず、もっともっと自分を厳しくしつけようとします。その孤軍奮闘ぶりは、他人からは「すごい!」と感嘆されますが、すごすぎて、他人との距離が広がる一方です。
その度合いが大きくなりすぎると、ちょっと泣き言をもらしたい、ちょっと手助けがほしいといった自然な欲求をどれほど強く押さえ込んでいるかを示そうと病気が訪れる場合もあります。
他人に賞賛される立派な人々は、病気になってしまった自分を「弱いからこんな情けないことになるんだ」と恥じて、今まで以上に自身に厳しく接します。すると病気になった意味を理解することからどんどんと遠ざかってしまうので、病気はどうにかしてその人に意味に気づいてもらおうと症状を悪化させることもあるのです。
長患いを望む人はいないでしょう。病気を患いながら「やりがいのある仕事をする」とか、「人生の手ごたえを得たい」、「自分らしく生きている実感を手に入れたい」という欲求に前向きに臨むことなど到底できないと感じます。
ならば、心身ともに健康で能動的にそれらの欲求に向かうには、孤軍奮闘することは必要ないと感じてほしいのです。そんなに禁欲的になって、自分を痛めつけることも要りません。その反対のことを実践すれば、そういった望みはかないます。つまり、孤軍奮闘の反対である「他人を巻き込むこと」を実行すればよいと言えるのです。私たちは決して一人では生きてはいけません。そこに則れば、孤軍奮闘することはいかに不自然な行為かがわかるでしょう。
他人を巻き込むことは、いけない行為ではありません。この時代を共に生きる私たちは「袖振り合うも多生の縁」、あるいは「持ちつ持たれる」の深い関係です。だからこそ互いの人生を交差させて、かかわり合うことで、おのおのの魂の進化を促せるのです。
生きがいを持って、自分らしく生きることを望むなら、自分から他人との接触を求めましょう。そして、胸に抱いた願望を相手に語りましょう。それが職場なら上司に希望の仕事を話しましょう。結婚したいと思っているのなら、気心の知れた仲間や友人に気持ちを話してみましょう。その上で、その希望がかなうように自ら努力を積んでいきましょう。
あなたのその本気とやる気は、周りの人々の心を打ちます。すると何か協力してあげよう、とその人々も動いてくれます。そこから自分ひとりでは到底手に入らなかった価値のある複数の情報が自分に集まってきます。それらの情報をもたらしてくれた人々に心を込めて礼を述べて、自分の心に響く情報をその中からピックアップしていけば、望んでいたものは手に入りやすくなります。
あなたに協力してくれた人々は、あなたから心のこもった感謝を受け取ると、人の役に立てたうれしさで心も体もはずみます。また、あなたの真摯な態度に感銘を受けて、ますますあなたと共に働きたい、あなたと仲間でいたいと感じてくれます。そこに幸せを分かち合う大きな喜びが生まれます。
私たちは、かかわる人の中にやる気、勇気、心意気、本気を見た時、感動して、その人の役に立ちたいと心を奮い立たせます。同時に、それらに触発されて自分を振り返り、よりいっそう真摯に生きることを誓います。それが他人を巻き込んで生きる意義です。
周囲の人々との積極的なかかわりから、感動という刺激を得られれば、気(エネルギー)は活性化しますので、気を病む=病気になることはありません、かわって、元気がみなぎります。それが「人生意気に感ず」ということでしょう。
人は人に育てられます。人は人に磨かれます。その時、大切なのは理性よりも素直な気持ちです。こわがらずに気持ちを語り合って、感動し合って、互いの生きがい、自己実現の欲求を満たしていきましょう。
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