コラム:人生は喜びに満ちている 99回
盛夏にふさわしいもののひとつに、「せみしぐれ」が挙げられます。
我が家の前の木々にも、せみたちがたくさんしがみついていて、一日中鳴いていま
す。お日様が沈んだ夜にも盛んに鳴いています。私は、その一途さに深く感心してし
まいます。
「せみは地上にあがって一週間しか生きられないんだよ。かわいそうだよね」と息子
は言いますが、私は、そのわずかな時間に狂ったように鳴き続けるせみに、同情より
尊敬の気持ちを抱きます。
そのはかなさにエロスを感じませんか?生と死のぎりぎりのはざまで、集中して鳴
き、それに命をかけるせみは、なんてカッコいいのでしょう。成虫であるせみが、こ
れほどの生きざまを見せてくれるのですから、私たち、人間の大人も、何かに熱中
し、狂う必要があると思いませんか?
今夏、娘は中学の吹奏楽の部活で、休みの前半はコンクールに向けて、朝から練習三
昧でした。1日の大半をただ楽器練習だけに費やす時間を彼女は過ごしたのですが、
私は娘に「楽器練習に狂え」と言いました。娘は、その言いつけを守って、その期間
は練習に熱中し、先生に叱られながらも担当楽器の技術の上達に狂っていました。そ
して、コンクールに出場し、見事に娘の中学は銀賞を受賞し、先輩や先生は感涙し、
その夜は、部活の仲間でカラオケで盛り上がり、翌日は、またまた部活の同学年の仲
間とディズニーランドに繰り出し、夜まで遊び呆けていました。
きっと、彼女の人生において、この経験は大きく生かされていくと感じます。あの音
楽室の中で、仲間と練習し続けた日々は、彼女の財産となっていくはずです。あの瞬
間に、楽器練習に熱中できた経験は、その後の彼女の人生を力強く支えてくれると期
待しています。
今、何も熱中するものがないと嘆いている大人は多いと感じます。それは、「私に
は、いったい何が向いているのだろう」という才能や可能性への問いかけにもなって
いるのでしょう。したがって、熱中するものがないということは、自分には才能も可
能性もないと審判を下されているようで、ため息が出てしまうかもしれません。
しかし、才能や可能性は、誰かが与えてくれるものではありません。その人生を通し
て、自分で発掘していくものです。
「熱中する」ということは、まず「やってみる」という行動を起こすことから始まり
ます。頭で考えても、それだけでは熱中することは不可能です。
今、何かやってみたいと思うものはありませんか?
ある人は、チャンスです。あとは、それを実行に移すだけです。もし、「どうしよう
かな」と迷っているのなら、ほんの少しの勇気を出して、やってみてください。そし
て、それに熱中できたら、もうそれはあなたの立派な才能となっています。才能は、
発掘し、育てていくものです。
たとえ、それに熱中できなくても、また、やってみたいもの自体がみつかっていない
としても心配は要りません。「自分のやりたいことを自分で見つけるぞー」と、高ら
かに宣言してください。そして、その宣言を信じてください。そうすれば、あなため
がけて、ふさわしい情報が集まってきます。
その中から、直感で、やってみたいことを選択し、実際にやってみてください。そこ
から、あなたの才能の扉は、未来に向けて大きく開かれていきます。そこには、過去
生でのあなたも、未来生でのあなたも同時に存在し、過去、現在、未来の私が見事に
合わさり、自分の中心にいる私を実感できます。
大人の私たちは、熱中できるものを仕事にしましょう。熱中できない仕事なら辞めま
しょう。
天職は、自らが築くものです。適職を自分以外の他人に、ましてや機械に診断しても
らう必要はまったくありません。
私たち大人も、あのせみのように、熱中し、狂いましょう。狂う大人が増えれば、せ
みしぐれのように、それぞれの生きざまを堂々と主張できます。それは、この人生を
生き切ることです。それは、この人生をうんと大切にすることです。カッコいい大人
になりましょうよ。
狂気を貫けば、ほんとうの骨太な私と出会えます。それは、正気の私です。
狂気こそ、正気。狂気=正気です。


