明日の私へ
はや、10月も終わり。
秋を満喫したいところですが、悪天候に気分が下を向いてしまいます。
先日、仕事場近くのバラ園に行きました。
例年、見事なバラが咲き誇るのですが、今秋は、つるバラは、ぜんぜん咲いていませんでした。
それでも、他のバラは、ポツポツとですが、堂々と上を向いて咲いておりました。
その雄姿に励まされました。
さて、この乱世が行き過ぎたら、私は、どうなっていたいでしょうか。
最近の私は、「ほんとうの自分で生きる」という言葉が口をついて出ます。
だから、それが私のこれからの目標なのでしょう。
ほんとうの私で、残りの人生を歩んでいきたい、と思っています。
それが、今後、いよいよできるのだ、と思うと、ワクワクしてきます。
やる気が湧いてきます。
有り難いことです。
そのワクワクを支えるために、昨日は、歯のメンテナンスに行ってきました。(半年に1度、通っています)
歯は、ほんとうに大事ですものね!
歯を守ることは、自分を大切にすること、と感じています。
歯がピカピカになって、明日の私への期待が膨らみます。
贅沢な一人遊びに興じる幸福
子育てからの解放も手伝って、私は、ますます美術鑑賞を楽しんでいます。
最近は、好みを問わず、食わず嫌いをやめて、できるだけ何でも見るようにしています。
そして、そこで得る感触を楽しんでいます。
そんな中、それまであまり興味がなかった水墨画を見る機会がありました。
すると、そこに描かれた白黒だけの景色に、カラフルな色彩が現れたのです。
水墨画に色を見る、という、心が躍る初体験をしました。
また、瀑布図からは、ゴーーーーという音が、私の中にこだましました。
それから、水墨画は何と奥が深いんだ、何と豊かなんだ、と感嘆し、関心を寄せています。
それらは、贅沢な一人遊び、です。
理解の速さも、理解の方向も、何にも、誰にも、邪魔はされませし、比較もされません。
子ども時代の私は、物事の理解が遅く、よく親に「早くしなさい」、「もっと先を読みなさい」と、叱られていました。
でも、ここまで、生き延びました。
これからは、この贅沢な一人遊びに興じる幸福があります。
これから、私は、その幸福の中で、大事に、大事に、この私を育ててあげようと思います。
牡丹
先日、上野東照宮のぼたん苑で、春の牡丹を鑑賞してきました。
薔薇もほんとうに素敵ですが、牡丹の雅さも、うっとりしますね。
牡丹は、富貴の象徴だそうです。
牡丹に、あやかりたいものです!
どっしりと落ち着いています。
泰然としていますね。
「泰然」という言葉、最近のセッションで、話されています。
泰然とできれば、問題は解決に向かい、また、私の人生をしっかりと歩めそうです。
牡丹のように、ありたいものです。
人生は、幸福になるためにある。
春バラの季節が、やってきました。
毎年のことですが、やはり、バラを見に行くと、心が躍ります。
お花は、私たちを幸福にしてくれます。
明けた令和時代、幸せにならずして、どうしますか?!
人生は、幸福になるためにある、のです!
先回のセッションでも、そう確信しました。
結果的に、セッションでは、その方の今後の幸福について、いかにそれを得ていくか、を、語っています。
私が望む幸せが手に入る時代に、もう入っています。
さあ、私を信じ、何度でも、私の幸福を望み、手に入れてまいりましょう。
美と、葛藤と、美しい人。
たとえば、美しい絵を見ても、印象に残らない、あるいは、心を揺さぶられない、ものもありますね。
そこで、「美」とは何か?、を考えました。
美とは、そこに葛藤がなければならない、生まれない、と感じます。
その絵の裏側に、何か、葛藤があると感じられれば、その美しさに、信憑性が付与されます。
葛藤は、ぐちゃぐちゃ、です。
絡まってしまっています。
クールではありません。
葛藤を抱えることは、苦しいこと、疲れること、です。
ゆえに、葛藤は、醜いもの、でしょう。
しかし、その醜さが、美しさを、支えるのでしょう。
そして、その美しさには、深みと、重みと、すごみが、足されるのでしょう。
さて、私たちの人生も、同様でしょう。
葛藤ある人生で、良いのです。
苦悩を抱えて、良いのです。
そこは、泥沼かもしれません。
しかし、そこを知っている人は、美しい人です。
そこを知っているからこそ、その中に咲く花の美しさに、その人は、心を揺さぶられるのです。
そして、その人は、その美しさの中央に、何の戸惑いも無く、堂々と立てるでしょう。
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