メッセンジャー
「無理をせず、自分の心に正直に生きていく」
それらが実行できたら、この世は、パラダイスでしょう。
そして、その中で、自分の使命を果たせれば最高、です。
こう書くと、今までは、そのすべての文言は、あくまでも理想であり、絵空事だったでしょう。
しかし、私達は、その方へ足を向けているのです。
私は、そのメッセンジャーになろうと思います。
*現在、セッションは休止しております。
正しい私を感得する。
人生経験を積んで、私とはいったい何者か?、という問いへの答えを得ていくのでしょう。
それが可能な場所と時間を選んで私たちは、生まれてきました。
今、ここに居る私たちは、それが許されているのです。
ですので、良く生きることとは、存分に私を発見していくこと、です。
そして、おそらくその目指す先は、「私は、私でいいんだ」という境地でしょう。
私のすべてを受け入れる私が、そこには存在しています。
それは、正しい私を感得する、ということだと感じます。
これからは、それが得られる絶好の時、です。
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私、再発見の旅路
この人生に直結している過去生ともう一度向き合って、これまで見ていなかった新事実を知りました。
また、その過程で、その時の私の心情を、より深く察することができました。
さらに、今回の人生で、母親の胎内にいた時の記憶にも、新たなものが加わりました。
そして、幼児期の記憶もよみがえり、そこから親子関係の重要性を再確認しました。
それらが、今の私を支えています。
今の私を作っています。
それらを基にして、今の私があります。
私の過去たちがあっての、この私、です。
この期間は、「私、再発見の旅路」でした。
いつか、その話を聞いていただく機会がありましたら、お披露目したいと思います。
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自分を罰してしまうこと。
この1年くらい、私は、体のある箇所が痛くて、苦しんできました。
その原因を、ある時、ガイドさんに尋ねたのですが、「それは、自分で作り出しているんだよ」と言われ、「???」と納得できなかったのですが、今朝、「ああ、そういうことか」と、やっと理解できました。
私は、その痛みで、自分に罰を与えていたのです。
どのような感情を持っても、どんな言葉を吐いても、それらは、すべて私自身なのに、そこに、悪い感情、悪い言葉、とレッテルを貼って、自分に罰を与え、その結果、痛みが生じていました。
公序良俗に反しなければ、捕まって罰せられることは無いわけで、そんなに自分を罰しなくてもいいはずなのに、知らず知らずのうちに、”世間様への顔向け”が関門となって、必要以上に、自分を罰しているのかもしれません。
罰せられる私は、窮屈です。
ストレスフルな日常を生み出します。
そこでの私は、信じられる存在ではありません。
そういった歪みが、今の不寛容な世の中を生み出しているのかもしれません。
世間的で善良そうな人々は、自分を罰しすぎて、その苦痛から、他者へ不寛容な攻撃の矢を放つのかもしれません。
そして、誰もが願う健康を損なう危機も、自分に与えてしまっているのかもしれません。
今が、変化の時なら、私達には、すべての私を、私のすべてを、受け入れる寛容さを身に着けるチャンスが到来しているのでしょう。
それは、正真正銘の自由の獲得、です。
念願の自由を手に入れたら、TPOをわきまえた言動が板について、「本音」と「建て前」を柔軟に使いこなせて、ますます末広がりな自由を謳歌できて、そんな私を、もはや疑い、罰する余地は全然ない、となるでしょう。
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楽に生きる。助けてもらおう!
それは、楽な生き方、です。
人生、楽に生きていけたら、きっと、これまでの何十倍も、何百倍も、幸福になれるでしょうね。
だって、これまでの私達は、楽に生きることを嫌ってきましたから。
それでは、どうしたら、楽に生きられるか、ということですが、私は、「偏らずに生きる」ことだろうと思っています。
バランスよく生きること、でしょう。
そのバランスの両軸は、それぞれ、「私自身の努力や励み」と、「天に預ける」ことだと感じます。
「天に預ける」とは、目に見えない、わからない領域に我が身をゆだねること、です。
これほどまでに科学が進歩した今、見えない、わからない、といった不確かなことが、確かなこととともに存在してしまうことに、私達は、大きな不安と嫌悪感を抱いているでしょう。
その中で私たちは、見えないもの、わからないものを不要と排除し、それらへの畏敬を忘れてしまったのかもしれません。
そして、求めても、求めても、幸せにはなれない、という冷たい結果が、私達を打ちのめしている、と言ったら過言でしょうか。
私も、真面目人間(自称!)なので、これまで生きる努力を重ねてきました。
しかし、それは偏った生き方なので、どこか独善的な偏狭な硬い心を生み出していたようにも感じます。
ここ数日で、そのことに気づき、天にお預けする、という思いが芽生えました。
天にお預けする、とは、見えない、わからない、不確かな領域に我が身を預けて、そちらのパワーに助けてもらおう、ということです。
誰かに、何かに、「助けてもらう」なんて、堕落だと、これまでは思っていたかもしれません。
でも、「天に助けてもらおう」と思った瞬間、心がとても楽になりました。
そして、明るく、温かな光を感じました。
ああ、私は、生まれ変われる!、と思いました。
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