自分を罰してしまうこと。
この1年くらい、私は、体のある箇所が痛くて、苦しんできました。
その原因を、ある時、ガイドさんに尋ねたのですが、「それは、自分で作り出しているんだよ」と言われ、「???」と納得できなかったのですが、今朝、「ああ、そういうことか」と、やっと理解できました。
私は、その痛みで、自分に罰を与えていたのです。
どのような感情を持っても、どんな言葉を吐いても、それらは、すべて私自身なのに、そこに、悪い感情、悪い言葉、とレッテルを貼って、自分に罰を与え、その結果、痛みが生じていました。
公序良俗に反しなければ、捕まって罰せられることは無いわけで、そんなに自分を罰しなくてもいいはずなのに、知らず知らずのうちに、”世間様への顔向け”が関門となって、必要以上に、自分を罰しているのかもしれません。
罰せられる私は、窮屈です。
ストレスフルな日常を生み出します。
そこでの私は、信じられる存在ではありません。
そういった歪みが、今の不寛容な世の中を生み出しているのかもしれません。
世間的で善良そうな人々は、自分を罰しすぎて、その苦痛から、他者へ不寛容な攻撃の矢を放つのかもしれません。
そして、誰もが願う健康を損なう危機も、自分に与えてしまっているのかもしれません。
今が、変化の時なら、私達には、すべての私を、私のすべてを、受け入れる寛容さを身に着けるチャンスが到来しているのでしょう。
それは、正真正銘の自由の獲得、です。
念願の自由を手に入れたら、TPOをわきまえた言動が板について、「本音」と「建て前」を柔軟に使いこなせて、ますます末広がりな自由を謳歌できて、そんな私を、もはや疑い、罰する余地は全然ない、となるでしょう。
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不幸は終わる。
これからを生きる私達に目標があるとすれば、それは、「私を生き切る」ということでしょうか。
もう、私以外の誰かを目標にする必要は無いのです。
これまでの私達は、私以外の誰かを目標に置きがちで、それは、自己を否定する方向へ私達を向かわせました。
それは、生きにくい世の中を形成し、私達は、人生に希望を持てませんでした。
しかし、その不幸は、もう終わりです。
これからは、私達は、私を生きていくのです。
自己を肯定していくのです。
そのための生の時間、です。
自己を肯定し、その私に無償の愛を送り続けましょう。
その生き方が、ようやく日の目を見そうです。
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プライドの時代へ
新しい年が明けましたが、以前として、コロナ禍に翻弄されている私達です。
しかし、だからこそ、この私は、これからをどう生きるか、が、一直線に問われている、と感じます。
その意味で、過去にこのブログに、これからは「個人の時代」と書きました。
私の生き様を示せる時代です。
それには、「プライド」が必要です。
プライドが欠乏していると、過度な他者への期待を持ちます。
他者との比較に一喜一憂してしまいます。
自分とは違う他者を攻撃しがちです。
プライドが無いと、私の人生を力強く歩むことが困難になります。
すると、生きることの醍醐味が得られず、私らしく生きる、という尊い自由は遠のきます。
これからの時代は、私のプライドを大切にできるか、が、問われるでしょう。
子育ても、子どものプライドを守ってあげられるか、が、ポイントでしょう。
今、関心を寄せるのは、「プライド」、です。
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私のために生き続けたい。
明日からの新年に向けて、私は、「これからは、私のために生きる」と宣言しています。
その宣言をすると、すがすがしい気持ちになれます。
そして、ああ、やっと、この宣言をすることができた、と、感慨深いです。
私のために生きる、と聞くと、なんて、自分勝手な、利己的な人なんだ、と、悪い印象を持たれるかもしれません。
しかし、そう言い切ったら、偽善者から離れられると感じます。
その潔い宣言は、私への愛を含みます。
その愛を土台にして、徹底的に、自己と向き合えそうです。
この人生を主体的に歩み続けられそうです。
そんな私の生き方に、私自身が最も安心できるでしょう。
その安心が、他者との交流に、余裕をもたらすでしょう。
私の人生です。
私のために生き続けます。
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もらい上手になって、豊かさを手に入れる。
人生、豊かになりたいですね。
それでは、どうしたら豊かになれるのでしょう。
その一つに答えとして、「もらうこと」を挙げましょう。
私達は、誰かに何かをあげるのは、容易ですが、反対に、もらうのは、難しいのかもしれません。
中には、他者に愛をあげることはしても、他者からの愛は、もらわない、という人もいます。
そして、そういう人を「自分を律していて、立派な人」と高評価しがちです。
でも、それでは、豊かさは、手に入りにくいでしょう。
放出したら、補給しないと、愛の泉は枯れ果てます。
他者に何かをあげることはできても、もらうことが難しいのは、そこに期待が入り込むからかもしれません。
期待はずれのものをありがたくは受け取りにくい、ということでしょう。
しかし、もし、期待はずれであったとしても、もらう瞬間に、その人から純粋な愛をもらうのだ、と思えば、素直に、その物を受け取れるでしょう。
そうして、もらい上手になれれば、いつも心には余裕があります。
心の余裕は、豊かさに直結します。
豊かな心、豊かなお金は、もらい上手な人と縁を結びそうです。
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