流れに逆らわず、受け入れて、一生懸命に生きていく。
2019-09-11

今、私は、夫と二人で暮らしています。
二人の子どもたちは、それぞれ社会人となり、独立したからです。
そこで、夫とは、子どもたちの幼かった頃の出来事など、なつかしく思い出し、笑い合っています。
その意味では、やはり、”子はかすがい”ですね。
そして、互いの先祖のこと、そして、私たちの結婚の意味などにも触れて、深い感慨を得ています。
そういったことも、偶然ではなく、必然の継続で、私たちは出逢い、ここまで来た、と、よくわかります。
そう感じると、私たちも、親も、その親も、またまたその親も、誰も、何も間違っていなかった、となります。
だから、こうして、私は、私となり、そして、子どもたちがいる、となるのですね。
その流れは、尊いものです。
私は、その流れの上にいるということに、感謝、ですね。
しかし、その流れには、節目があります。
私の両親のそれぞれの家は、もう跡継ぎがいません。
女性ばかりで嫁いでしまい、また、跡を継ぐ男性はすでに亡くなっています。
でも、それで良いのです。
それも必然の流れです。
私は、なぜか幼い頃から、親に、先祖の後始末的な仕事が、おまえにはある、と言われてきましたが、それならそれに従うまで、です。
そのことについては、これから考えることになるのだろうと思っていますが、私の子どもたちは、夫の方も、私の両親の家とよく似た環境なので、私たちを土台に、その節目を超えて、新たな流れを創っていく宿命なのでしょう。
流れに逆らわず、受け入れて、一生懸命に生きていく。
それでいいんだと思います。
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