自分を罰してしまうこと。
2021-02-13
この1年くらい、私は、体のある箇所が痛くて、苦しんできました。
その原因を、ある時、ガイドさんに尋ねたのですが、「それは、自分で作り出しているんだよ」と言われ、「???」と納得できなかったのですが、今朝、「ああ、そういうことか」と、やっと理解できました。
私は、その痛みで、自分に罰を与えていたのです。
どのような感情を持っても、どんな言葉を吐いても、それらは、すべて私自身なのに、そこに、悪い感情、悪い言葉、とレッテルを貼って、自分に罰を与え、その結果、痛みが生じていました。
公序良俗に反しなければ、捕まって罰せられることは無いわけで、そんなに自分を罰しなくてもいいはずなのに、知らず知らずのうちに、”世間様への顔向け”が関門となって、必要以上に、自分を罰しているのかもしれません。
罰せられる私は、窮屈です。
ストレスフルな日常を生み出します。
そこでの私は、信じられる存在ではありません。
そういった歪みが、今の不寛容な世の中を生み出しているのかもしれません。
世間的で善良そうな人々は、自分を罰しすぎて、その苦痛から、他者へ不寛容な攻撃の矢を放つのかもしれません。
そして、誰もが願う健康を損なう危機も、自分に与えてしまっているのかもしれません。
今が、変化の時なら、私達には、すべての私を、私のすべてを、受け入れる寛容さを身に着けるチャンスが到来しているのでしょう。
それは、正真正銘の自由の獲得、です。
念願の自由を手に入れたら、TPOをわきまえた言動が板について、「本音」と「建て前」を柔軟に使いこなせて、ますます末広がりな自由を謳歌できて、そんな私を、もはや疑い、罰する余地は全然ない、となるでしょう。
*現在、セッションは休止しております。
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