してはいけない理由
2018-01-23

なぜ、自死、自殺がいけないのか?
それへの返答を、これまでも記してきました。
セッションでも、自死された故人の近しい方、遺族の方々とお会いして、その故人が今、どう思っているのか、どうしているか、といったご質問への対応をいたしました。
そこで、その故人が、悲しみに打ちひしがれている、遺された方々の姿や心情を感じても、もはや、思いを伝える声も無いし、そっと、その身に添える手も無いので、ただただ深い苦悩を抱えてしまう、という事実を知りました。
その双方の苦悩が、晴れることは、おそらく遠い、遠い先まで無いでしょう。
そこに、自死、自殺の後味の悪さ、無意味さがあります。
以上が、これまで記してきた返答でしたが、本日は、さらに、そのもっと核心に近いところを記したいと思います。
それは、自死すると、自分自身と向き合う、という使命を全うできない、ということです。
この人生は、自分といかに向き合っていくか、が、最大の命題なんだと感じます。
先日のこのブログには、「いかに人生を楽しめるか、いかに楽しみを見い出せるか、創り出せるか --- それが、私たちに課せられたミッションなのでしょう」と書きましたが、それも、自身と向き合ってこそ、成り立つものです。
自死、自殺は、その使命を途中で断ち切ってしまいます。
それが、してはいけない理由、でしょう。
私たちは、自分としっかり向き合って、生き切ることが、使命で、その全うが、他者への貢献、です。
社会貢献がしたい、人の役に立ちたい、といった、清らかで崇高な望みは、自身として一生懸命に生き切ることで、果たせます。
自死、自殺は、一人よがりな生き方、死に方、なのでしょう。
アーカイブ