「らしさ」とつきあっていく。
2018-04-01

女性は、「女性らしさ」を強制させられると、社会的に犠牲者となりかねません。
それは十分にわかっていることではありますが、女性なのに、女性らしさを消してしまうと、さて、その人は、いったい誰?、となってしまう危険が生じます。
昨日のブログに、相手に「らしさ」を求めてしまう性(さが)が、私たちにはある、と記しましたが、女性なのに、女性らしさが無い人を目にした時、周囲の人々には、戸惑いと不安が広がります。
また、「らしさ」を葬ってしまった人は、自身を表す目印のようなものを示せないので、必死に、周囲に自己をアピールしがちです。
両者の間には、残念ながら、相互理解ではなく、誤解が生じやすくなります。
そういった意味で、「らしさ」は、ないがしろにしてはならないと思います。
最近、社会は、「思いやり」が薄れているな、と感じます。
それは、「らしさ」からの解放を急ぎすぎて、自己主張を声高にしたがる人々が増えたからではないでしょうか。
互いに自己主張ばかりでは、そこに、相手を思いやる心の余裕は生じませんし、社会全体を生きにくくしてしまいます。
確かに、「らしさ」の強要や束縛は、あってはなりません。
しかし、特に、女性は、「らしさ」を失うことで、得るものは、ほとんどないのが現実、と踏んで、期待される「らしさ」のことも理解して、うまく「らしさ」とつきあっていくことが求められます。
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