「好かれたい」と平和な社会。
2018-06-11

私たちは、人に好かれたいと願います。
恋愛でもそうですし、職場や学校などの集団の中でもそうでしょう。
しかし、好かれたい、の方向に寄りすぎてしまうと、嫌われる、という皮肉的な結果が生じやすいです。
なぜか?
それは、他者も、自分と同じように、好かれたい、と望んでいるので、こちらが好かれたい、と強く望めば、同じような他者を引き寄せてしまい、その仲は、エネルギーの奪い合いとなり、心の余裕を失い、互いに失望を与えて合ってしまうからです。
また、そんな余裕の無い私は、周囲の多くの他者からも、安心を得られない、不安定な人と認識されてしまい、やはり好かれません。
そこで、大切なのは、自己の確立、です。
私のカラーを相手に見せることです。
私の存在を周囲に示すことです。
そんな私は、過度な”好かれたい”から解放されるので、その余裕のある姿が、周囲の人々を安心させて、結果、好かれます。
何事もバランスです。
他者に好かれたい欲求は、捨てられませんが、その対軸の自己の確立にも目を向けることです。
「私は、こんな人間です!」と、明るく無邪気に相手に私を示すことは、ここに安心をもたらし、真に平和な社会を築くでしょう。
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