たとえ背徳と言われても。
2019-01-27

最近、「私たちは、自分のために生きられます。それは、なんと贅沢なことでしょう。それは、なんと素晴らしいことでしょう」と記しました。
そう書くと、それはいけないこと、背徳だ、と感じる方もいるかもしれません。
そんな自分勝手なことをしてはいけない、人のために生きてこその尊い人生だ!、と、お叱りを受けるかもしれません。
でも、それでも、私たちは、自分のために生きられる、と申します。
なぜなら、どのように行動しても、すべてその結果が自分に返るからです。
他者のために自己を犠牲にして尽くしても、その結果が、すべて、自身の手中に入るからです。
すべての人生の経験は、自分のためにある、そこでの学びは、すべて私が受け取れる、だから、この人生は、自分のためにある、と断言してしまえば、どこかスッキリとして、私の内側に、エネルギーが湧いてくる感じです。
いろいろなことが起きる人生です。
そこに付随して、さまざまな感情が湧き起り、疲労もします。
泣きたいこともあるでしょう。
しかし、自分のためにある人生なら、そこで、犠牲者にも被害者にもなりません。
成り得ないのです。
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