新・素晴らしい人
2019-04-26

昨日は、「これからの新時代の和合は、みんな、それぞれの色で、互いに協力し合う、補い合う、というイメージです」、と書きました。
その実現には、何でもできる人は、不要です。
また、それを目指す必要もありません。
目指しても、厳密には、そんなことは不可能なので、そこからも、それは目指すことではない、となります。
でも、これまでは、そんな感じの人が一目置かれていました。
それが偉い人、でした。
そして、その人に何か、分け与えてもらおうとする人々も存在しました。
それが、これまでの常識だったのなら、今後は、もうそこから離れてもよいでしょう。
離れて、新たな常識を創りましょう。
それは、完全無欠ではなく、どこか欠けている人が、素晴らしい人、というものです。
互いに欠けているからこそ、協力し合えるし、補い合えるのです。
欠けているからこそ、周囲の人々とともに生きる喜びがあるのです。
ああ、欠点があって、よかった!、そう安堵しましょう。
そして、持ち合わせている長所を使って、他者の力となりましょう。
それも、主体的に生きる、ということでしょう。
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