楽観が誘うところ
2019-05-17

人生に、幸運、不運があるのなら、楽観的に生きれば、幸運のみの人生となりそうです。
それは、楽観的に生きる、とは、人生に起きる出来事の良い面を見ようとすることだから、です。
人生には、落ち込むこと、悩むこと、苦しむことなども起きてしまいますが、そこにも何か意味があり、それは、これからを生きていく私の糧となるものだ、と、とらえれば、うんと悪いことは、うんと良いことへの橋渡し、となってくれます。
そうして、人生での様々な出来事の意味を探りながら、前向きに生きていけば、それらの出来事を、いちいち、幸、不幸、と、色分けしなくなるでしょう。
そして、あらゆる経験は、私を成長させてくれる有り難いもの、と、素直に感謝できるでしょう。
また、私たちは、一人きりでは生きてはいけません。
関わる人との縁にも、一喜一憂があるとしても、それらの接触は、私がどう生きていきたいか、という問いへの答えを示してくれる刺激です。
その有り難い刺激にも、やはり感謝、ですね。
その感謝があれば、人間関係にも、幸、不幸の色分けは、不要です。
やがて、私たちが迎える死も、良い所を見い出したいものです。
死は、後進に道を譲ること、です。
私の死も、その輝く側面があるのなら、安心して今を生きて、生き切りたいです。
とても大切な人を失っても、それは、私に自由を与えてくれた、手放してくれた、巣立たせてくれた、という面もあるのでしょう。
身に起きる出来事の意味を探り続ける、それら出来事の良い面を見続ける、ことは、人生を全肯定することにつながります。
その楽観は、この世でも、あの世でも、地獄とは無縁でしょう。
楽観は、私たちを救い、天国へと誘います。
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