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ブログ「今日が一番」
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今日が一番

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人生最大の愉しみ

2019-09-15

人生の中で、見るべきものは、自分自身、です。

私の内側、です。

目をそらさずに、自己との対話を続けること、です。

そう書くと、そこに何があるの?、そうしていけば、何か、いいことあるの?、と、問われるかもしれません。

私たちは、そうした、予測できる答えが先にあるもの、は、安心して、それを見つめられます。

しかし、私の中を見ることは、そのようなはっきりとした何らかの答えが、そこにあるとは、限りません。

だから、自分を見つめることは、つらいのでしょうか。

不安で、目をそむけたくなるのでしょうか。

でも、だからこそ、そこに、何にも邪魔されない、純粋が極まった、私自身の大いなる可能性が息づいているのです。

私を見続けて、何が得られるか? ・・・・・ 即答は、できません。

邪念を捨てて、私と向き合って、私を見続けていると、ある日、ある時、ポッと、何かが浮かんでくるでしょう。

それを得ることが、人生最大の愉しみではないでしょうか。

 

彼らの病

2019-09-14

私たち人間の場合は、「病は気から」ということは、大いに有り得ます。

すると、家族同然のペットの病は、どうでしょうか?

セッションで、これまで、ペットの病についてのご質問を受けてきて、気づいたことがあります。

それは、ペットの病は、飼い主さんの病んだ気を吸い取った結果、ということです。

人間が抱えた、心の重荷、ストレスを、彼らは、きれいに吸い取ってくれているようです。

また、飼い主さんが、たとえば、独り立ちするなどの、これから迎える変化に合わせて、病を得て亡くなり、飼い主さんを解放する、ということもあります。

そうして、飼い主さんのその変化を後押ししてくれるのです。

彼らの死は、とても悲しいことではありますが、それほどまでに、私たちに尽くしてくれる、ということに、深く感謝をすることで、彼らとの関係は、昇華するでしょう。

彼らは、ほんとうにすばらしい相棒ですね。

ただただ頭が下がります。

 

足りないものはない

2019-09-13

最近、私の口をついて出るのは、「足りないものはない」という言葉です。

それは、この私に、足りないものは、何もない、ということです。

そう聞くと、どう思われるでしょうか?

いやいや、足りないことだらけだよ、と、その言葉は、拒絶されてしまうかもしれません。

そこで、その言葉の意味を感じてみます。

すると、私の外を見るのではなく、私の内側を見よ、と言われているようです。

人生で湧き上がる、さまざまな疑問、質問、そして選択の答えは、私の外ではなく、私の中にある、のです。

それらを得ようとさえすれば、それらは、ちょうどよいタイミングで、私に訪れてくれます。

だから、私に足りないものはない、と言えるのです。

これまで、私の中を見る、と言うと、反省するため、が、一番だったように感じます。

もちろん、それも必要ですが、自身を痛めつけるような、きつい反省では、その答えは、浮き上がりません。

今の、この、ありのままの私を、そのまま信頼して、私に、人生の答えを求めてあげてください。

私の外側への関心と、内側への関心の双方が備われば、私は、何も足りないものは、ありません。

 

良い人生は、寂しさとともにある。

2019-09-12

私たちは、みな、寂しい、と、先回、書きました。

その寂しさは、どこから来ているのか、と、問われれば、それは、親子関係から、と、答えます。

人との関係は、親子関係が起因する、と言っても、過言ではないでしょう。

目上の人との関係も、異性関係も、同性との関係も、子どもとの関係も、自身の親子関係が影響しています。

そこに生まれる寂しさは、親子関係で感じた寂しさの投影です。

その寂しさをしっかりと認識して、自身と向き合えば、それは、「親と私」を知るきっかけとなり、その後、その寂しさと程よい距離を保ちながら、付き合えるでしょう。

子育ての中で、子どもの行動や言動に困ったら、子どもは、親である私との距離に、大きな寂しさを抱えている、と、理解することです。

そして、その寂しさを埋めるように、親は、子どもに近づき、安心を幾度も与えてあげることです。

しかし、親は、どんなにがんばって子育てをしても、子どもが満足し、納得するような、寂しさとは無縁の、完全な愛を、与えることはできません。

でも、だからこそ、程よい寂しさは、人の痛みを知り、共感できる人間を育てる、とも言えます。

それが、寂しさの効用でしょう。

良い人生は、寂しさとともにある、ということでしょう。

 

流れに逆らわず、受け入れて、一生懸命に生きていく。

2019-09-11

今、私は、夫と二人で暮らしています。

二人の子どもたちは、それぞれ社会人となり、独立したからです。

そこで、夫とは、子どもたちの幼かった頃の出来事など、なつかしく思い出し、笑い合っています。

その意味では、やはり、”子はかすがい”ですね。

そして、互いの先祖のこと、そして、私たちの結婚の意味などにも触れて、深い感慨を得ています。

そういったことも、偶然ではなく、必然の継続で、私たちは出逢い、ここまで来た、と、よくわかります。

そう感じると、私たちも、親も、その親も、またまたその親も、誰も、何も間違っていなかった、となります。

だから、こうして、私は、私となり、そして、子どもたちがいる、となるのですね。

その流れは、尊いものです。

私は、その流れの上にいるということに、感謝、ですね。

しかし、その流れには、節目があります。

私の両親のそれぞれの家は、もう跡継ぎがいません。

女性ばかりで嫁いでしまい、また、跡を継ぐ男性はすでに亡くなっています。

でも、それで良いのです。

それも必然の流れです。

私は、なぜか幼い頃から、親に、先祖の後始末的な仕事が、おまえにはある、と言われてきましたが、それならそれに従うまで、です。

そのことについては、これから考えることになるのだろうと思っていますが、私の子どもたちは、夫の方も、私の両親の家とよく似た環境なので、私たちを土台に、その節目を超えて、新たな流れを創っていく宿命なのでしょう。

流れに逆らわず、受け入れて、一生懸命に生きていく。

それでいいんだと思います。

 

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