悟らず、生きたい。
悟る、とは、「人生とは、このようなもの」と、まとめてしまうこと、です。
人生に必要なのは、日々、目の前にあることに集中して、一生懸命にそれに取り組み続けること、と感じます。
今、私は、自分の人生の真っただ中にいて、喜んだり、悲しんだり、ですから、とても人生を俯瞰して、人生を悟る時間は無いでしょう。
人生を悟る瞬間があるとすれば、この人生から私は完全に去ってしまった時、でしょう。
生きていても、私のこの人生から完全に離脱しなければ、人生の外側から人生をながめ、悟ることはできません。
我欲を完全に消し去った時、悟りは訪れるでしょう。
「生きる」とは、欲にまみれることです。
欲にまみれて初めて、生き切れるでしょう。
生きている今、人生を悟った、と感じても、それは、絵空事、でしょう。
それは、とてもとても小さく、とてもとても浅い、悟りのようなもの、でしかないでしょう。
その中に、私を入れ込み、そこで、私を生きさせようとすれば、何事にも、「~ねばならない」という厳しいオキテを自身に課し、その悟りっぽい色に自分を染めようと躍起になってしまいます。
ああ、そこでの私は、なんてかわいそうなのでしょう。
その人生は、私の中の未発掘の才能や可能性が開花しないまま、終わってしまいそうです。
「生きる」とは、生々しいものです。
悟りなんか求めず、欲にまみれ、生々しく生きて、私は、私を楽しみたい、と思います。
*現在、セッションは休止しております。
この1年の私
この1年、私の身に起きたことを振り返ってみると、言葉として発したことが現実になる、ということを実感します。
私は、2年ほど前から、「生まれ変わるんだ!」と口にしていて、それを楽しみにしてきました。
そして、今年、その言葉通りに、生まれ変わるために、自己に徹底して向き合い、対話する、ための出来事が降りかかりました。
それも容赦なく、でした。
おかげ様で、深く、深く、自分を掘り下げることができました。
そして、新たな自己の発見がありました。
これから、私は、一人きりではありません。
過去の時代を生きた、過去生の私たちとともに、これからの人生を歩いていきます。
過去生の私は、今も、この私の中で生き続けています。
それを確認できたことも、大きな収穫でした。
また、体と心は一体です。
私を生かそう、育ててあげようとすれば、体もそれに従います。
それを”健康的”な生き方と言うのでしょう。
しかし、高い場所から私を見下すような、厳しすぎる態度で私に臨めば、あるいは、私に冷たく接すれば、体は、私を亡ぼすスイッチを押します。
自己に厳しすぎる人、冷たすぎる人が、まだまだ多いのではないでしょうか。
これからの時代を、豊かに、そして、私らしく生きていくことへ、この1年の私の経験が役立てば、と、思っています。
*現在、セッションは休止しております。
死への想い
これまでは、「死」を語ることは、「縁起でもない」と言われ、タブーでした。
しかし、人生、どう歩んでいくか、を無視できないならば、その先の死に無関心ではいられません。
これまでセッションの中で、故人からのメッセージをお伝えしたり、死にまつわることをお話していて、私は、死への想いを持つようになりました。
それは、生きたように死んでいく、ということです。
生き様は、死に様、です。
日々の過ごし方が、死の形を決めるのです。
しっかり生きて、しっかりと死んでいきたい、と思っています。
私達が、主体的な死への想いを持てば、生き様も主体的になってくるでしょう。
どう生きるか、に苦慮したら、どう死にたいか、をイメージしてみるのもいいかもしれません。
私の生死の色合いは、私が決める自由が、今、ありますから。
*現在、セッションは休止しております。
心と体の密接な関係。細胞は、心の声を聴いている。
今年の私は、自己との対話を続けてきましたが、そこで、心と体の密接な関係を実感しています。
心と体は、切り離せません。
心の有り様が、体に表れます。
体は、心の映し鏡です。
まさに、「細胞は、心の声を聴いている」、です。
私達が、肉体を持っているのは、心を映すため、と言えそうです。
私達を苦しめる病も、そこに含まれるでしょう。
自己を否定する心は、私を否定する病へとつながりを持ちそうです。
自己否定が強いと、私を亡ぼしかねない病を呼び寄せてしまうかもしれません。
体に、心の状態を映し出しながら、それを基にして、私達は、唯一無二の存在である私自身の肯定へ進路を向けられたら、健康は手に入りそうです。
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悟らない人生
最近のことですが、想定していた私の寿命が10年、延びた、とわかりました。
(私は、誕生日とか、年齢とか、数字に関することは、その数字が、頭の中に浮かび上がります)
どうもこの人生は、長寿のようです。
長寿は、めでたいことですが、最後の瞬間までしっかりと生き切れたら、の話ですね。
そこで、めでたい長生きを目指したい私達の課題は何か、ということですが、一言で表すと、「悟らない」ことと感じます。
悟るのは、あちらの世界へ行った時で十分で、生きている今、悟ろうとしない、人生、こんなもの、と、簡単に結論を出さないこと、ではないでしょうか。
悟ってしまうと、その後の人生は、退屈、です。
悟ってしまうと、他者の思考や意見に耳を傾けなくなりがちで、その独善は、人生への刺激を遠ざけます。
退屈は、健康的な長寿の敵、です。
健康的な長寿には、好奇心が欠かせません。
悟らない人生には、好奇心が乗りやすく、その追求のために時間を贅沢に使えます。
すると、”手応え”という宝物を、いくつも得られます。
手応えは、私の自信を支えます。
自信のある人生は、生き切る、という幸福を与えてくれるでしょう。
生きている限り、未熟者でよいではありませんか。
青二才のままで、この人生を全うしたいですね。
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